Tackmixとの関わり [6]
- 1995年、F1速報(雑誌)の企画で、各地のレンタルサーキットでレースをするというのがあり、彼はフォーミュランド仙台に来る。その時、Tackmixのマシン[7]はFW16カラーでセナのヘルメットだったので印象が残っていたようだった。
- 1997年、彼がWEBサイトを作ったときに、Tackmixは当時のエピソードも交えてメールを出した。それが、WEB経由の初めてのメールだったらしく、いたく感動される。(^^;
その後、何度かやりとりするウチに、半分冗談でQ!!Maruの4時間耐久に誘うと、意外にも彼は快諾。次のレースも参加してくれることになる。
- 1998年、もてぎで行われた無限プレイングカート全国大会に誘われる。元々はサブアナウンサーとして手伝い、レースにも参加できる予定だったのだが、メインアナウンサーに昇格してしまい喋り続けることになる。
- 1999年、この年も無限の大会に呼ばれるのだが、アナウンサーとして大変なことをしてしまう。
当時のホンダ社長の川本さんに、表彰式前のインタビューで「あのぅ、ここに集まっている人達は、みんなレースが大好きな人達なんですが、ホンダも大好きなんだと思うんですね。それで、みんな願っていることは1つだと思うんですが・・・」と遠くに遠くに聞いたつもりだったのだが、川本さんは「F1か?よし!あしたからやるぞ!」と叫んでしまうんです。こっちが驚いてしまい、踏みとどまろうとしたのですが、川本さんは「あれ、エンジン担当もさっきまでいたんだけどな・・・」と言い出す始末。
そこで、大声で けんさわ が一言「いつから、どこで走るんですか?」と。
これが、あの当時のレース雑誌をにぎわせた「ついにホンダ復帰か?」の真相なんです。
- 2000年、北海道に遊びに行った際に再会。全日本マシン[7]に試乗させてもらう。ここで、奥さんとなる人に車で送ってもらい、長々と喋る。(^^;
12月にドライバー[8]として無限プレイングカート耐久レースに誘われる。この年から、使用車両が新品のPK50[9]となっていた。ここでTackmixは、タイムの良かったチームの空気圧設定を見抜く。迎えた決勝は120台ほどの中段以降からのスタートだったが、最初のピットイン時にちょうどSCが入る。しかし、集団の最後尾は先頭が再スタートしてもまだコース中盤でスロー走行という状態。ここでTackmixは自分の順位も知らずに、攻めに攻めた。実は、各チームがピットインし、1位走行していたのである。マシン[7]を降りても、誰もそれを言わず(つまり、知らないのは私だけなのだが、そのことには皆気が付いていない)ピット内で「けんさわさんのチームすごいなぁ、1位かよ」という誰かの声を聞いても尚「へぇー、大人げないな」と思っていたほどである。(^^;
- 2001年、K-TAIにドライバー[8]として参加依頼をうける。
フロントダウンフォースのナーバスな点を指摘。ウィングカー時代を知っている人だけの話題である。
#google(けんさわ)
Last-modified: 2007-03-27 (火) 13:46:59 (JST) (6480d) by ゲスト
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