新々Tackmixブログ - 最新エントリー
あたらしく、Tackmixのお勧め っていうコーナーができました。
ええ、はっきり言ってアフィリエイトです。(amazonは、アフィシエイトっていうのね)
でも、選んでいる物がスゴイですよ
なんと、SUGOやらイベントで私が使っているBGMを中心に選んでいます。
あの、どこから持ってきているんだ?的なBGMも手に入っちゃう。
これであなたも、SIGOのアナウンサーです!っていう感じ・・・
あ それって、ヤバイじゃん
追記・・・・新バージョンに移行したいので一端非表示にしました
追記2・・・稼働始めました
私がパソコンを使い始めたのは、前にも書いたようにMIDIで音楽を作る必要があったからでした。
でも、それは1つの道具としての話。
コミュニケーションツールとなったのは、富士通のFMV S167 という悪名高き(^^;PCを手に入れてからでしたね。
ニフティのフォーラムで、FFMVというのがありました。
初めて、いろいろな方と知り合った。。。。
その富士通FMフォーラムが今日無くなります。
寂しいと言えば寂しいですね。
活動の場は、もう全然違うところに来ているのですが
なんていうか、実家が無くなる・・・みたいな。
でも、そこに集っている人達は、まだまだ元気そうなので安心しました。
つらかったです。。。。
まず、F1の予選を見て、それから寝たのが3:30頃のこと。
ところが、ウチのマンションの火災報知器が鳴りだして叩き起こされたのが4:50です。
誤報だったのですが、それが止まるまで5:20になってて、7:00集合のSUGO出発時間は6:20。
つまり、寝られないんですね。。。。寝てないんですよ・・・・
しかも!
朝に「何か忘れ物しているような気がする」との予感は的中!
音楽を収納したポータブルHDDを忘れてきた。。。orz
しかもしかも!
毎回書いてもらっているプロフィールに「ねるとん紅鯨団」のネタが!!
その音源・・・そのHDDに入れてたんですよ。
いつ使うか判らないって言うものなんだけど。。。。
この時になかったらどうすんだよ!!
で、朝から雨のレース。
決勝は、暫定表彰付きですから忙しいのです。
雨のレースは、タイム的に遅れますから、それがだけでも表彰式がキツイ。
休めない7クラスの実況でした。
結構、バトルがないと喋りのテンションも上げられないんですね。
唯一テンション上げて絶叫したレースは、優勝者が重量足りない・・・失格・・・(^^;
いやぁーん。。。。
それまでのシナリオは全て崩れてしまったのでした。
ライブって、怖いですね。やっぱ。
なんか、こんなに長くなる予定ではなかったんだけど(^^;
アーンエムの橋は、ジョンフロスト橋という名前になっています。
つまり、イギリス第1空挺師団のジョン・フロスト中佐の名前が付いているのです。
作戦では彼はこの橋をあきらめる事になりましたが、現在は彼の物なのです。
そのジョンフロスト橋の北側には、高さのある教会が建っています。
ここの上にある展望台からは、橋がよく見えるのですが、案内してくれた初老の紳士が
私に向かっていろいろと聞いてきました。
私は、日本からきて、77年の映画を見てから、ずっとここにきたかったのだと答えました。
彼は、感動してくれて、この教会屋根裏まで上がって良いと言ってくれました。
そこからだと良い写真が撮れるというのです。
彼は最後にこう聞いてきました。
「どうだい?橋は遠かったかい?」
ナイメーヘン橋では、勇敢な渡河作戦が行われたのでした。
確かに幅が広く、流れの急な川でした。ここで、レッドフォードはクック少佐を演じたのでした。
時間がなくなってしまい、肝心のディペンターではあまり撮影が出来ませんでした。
が、発見もあったのです。
作戦説明のために、エドワード・フォックス演じるホロックス中将がジープで現れるシーン。
実は、ディペンター近くで撮影されていたのでした。
駅から橋へ向かう途中、噴水のある広場に出ましたが、どこか見覚えがあるのです。
それが、そのシーンでした。
言葉だけでは物足りないですか?
こまったな、、、、
では、そのビデオの一部を公開します。
編集時に、遠すぎた橋のビデオ、サントラなどを使っていますから
趣味の範囲と言う事で、慎重に取り扱ってくださいね。(^^;
ビットレートは260kb/sec ですから、ダウンロードした方がいいでしょう。
サイズは21MBもあります。
遠すぎた橋を訪ねて
(このファイルは、近い内に消しちゃいます)
最初の目的地だったモナコでも、パリでも殆どが英語で大丈夫です。
一応、フランス語のハンドブックなんて持っていっていたのですが
考えてみると、こっちの質問が通じたとしても、相手の答えが聞き取れないよね。
あ、正しくは、聞き取れても意味がわからない、ですね。
で、ずっと英語で通したんですが、オランダ人の英語は聞きやすかったです。
不思議なことなんですが、以前アルバイトをしていたファーストフードの店に
外人さんが来て、英語でオーダーしていくのですが、それがヤケにわかりやすかったんです。
どこから来たのか聞いてみたらオランダだと言っていたのを思い出しました。
なんというか、日本人がカタカナ英語を、無理矢理英語っぽく発音するときの音に
よく似ているんです。それで聞きやすいんですね。
そういえば、不思議なことがありました。
パリで買い物をしていたときのことです。
向こうから地図を持った日本人らしき人達が歩いてきました。
彼らは、どこかお店を探しているらしく、よくよく言葉を聞くと日本人ではないようなんです。
中国語だったような気がします。
驚いたのは、その彼らが、私たちに道を尋ねてきたんです。英語で。。。。
え?おかしくないって?
よーく考えてみてくださいね。
私たちの姿は、どうみても現地の人(フランス人)には見えないです。
つまり、その地理に詳しいとは思えないはずなんですね。
かといって、自分たちと同じ国(中国?)の人だと思って訪ねてきたんだとすれば
母国語で尋ねるでしょ?それが、英語だったんです。
彼らは、どんな基準で判断したんでしょう?
あ・・・遠すぎた橋の話題じゃなくなっちゃった(^^;
私にしてみれば、まさに「ひょんなことから」なのです。
中学生になってYMOを聴き、高校生になって洋楽を聴き、
それ以降12inchを買いあさる日々が続きました。
20代ではF1にはまっていて、その後カートに乗るようになってからは
そんな「遠すぎた橋」のことなどは、全く忘れていたのです。
1996年に、新婚旅行に行くことになり、その目的地はモナコとなりました。
7日間の行程で、最後の2日間はパリ観光になっていました。
「2日もパリ観光?」これが正直なところです。
地図を眺めながら、「ああ、ちょっと行けばノルマンディ海岸があるんだな・・・」
いや、待てよ・・・オランダってそこからかなり遠いのか?
というわけで、ツアーの残りは単独での「遠すぎた橋ツアー」となったのです。
しかし、決まったのは良いけど、日本ではガイドブックにすら載っていない町に行くんです。
主な舞台となった、ナイメーヘン・アーンエムは、よく調べれば判ります。
ナイメーヘンはニメーゲンとか記載されている場合もありますし、
アーンエムは、アーネムとか、アルンヘムとなってる場合もあります。
問題は、撮影された「偽アーンエム橋」の場所です。
今でこそ発売されているDVDのメイキング映像に答えがありますが、その当時は
「アーンエム橋は、ディペンターのウィルヘルミナ橋で撮影された」なんて誰も知らず
映画公開当時のパンフレットに小さく書かれていただけでした。
この場所探しから始まりました。
地図屋さんに行って、オランダの詳細地図を買います。
しかし、綴りが判りません。
思いあまって、オランダ大使館に電話
撮影当時に、ディペンター近くで暮らしていた人が大使館員だったので
詳細を聞き出して、橋の位置も特定できました。
現地では、列車の移動になるので綿密に行程を考えます。
実際に、現地のガイドですら、そんなところをまわる日本人はいないと言っていました。
オランダへは、夜行列車で向かいました。。。。。
つづく・・・・・・
今日、9月17日。
私にとってはちょっと思い入れがある日なんです。
1944年9月17日 マーケットガーデン作戦が決行され、イギリス各地からオランダに向けて空挺部隊が輸送機で飛び立ちました。
映画「遠すぎた橋」の元となった第2次世界大戦中の大作戦です。
私には、この「遠すぎた橋」がいろいろな部分でキーポイントとなっているのです。
小学生の頃、レコードプレイヤーの使い方を覚えた私は、ウチにあった映画音楽大全集のLPを片っ端から聴きます。その中で、西部劇と戦争映画の音楽が好きになりました。
その影響でブラスバンドに入って、トランペットをやるようになるのですが、それまで私は音楽をあまり勉強したことはなかったのです。そこに1977年、この映画が公開されます。
戦争映画が好きだった私にとって、この映画はバイブルとなってしまいました。
はじめて、自分の小遣いで買ったLPは、この映画のサントラです。もちろん、1つの映画のLPがあるなんて、この時まで知りませんでした。
映画のパンフレットも、チラシも、ポスターもこの時知ったのです。
「遠すぎた橋」は、歴史の苦手だった私に「連合軍」という枠組みを教えました。
オーケストラの音楽を聴くことによって、和音ではないリフでのハーモニーを知りました。
オランダがどこにあって、アーンエムはどこにあって・・・と、地図を見るようになりました。
この時期、プラモデルメーカーのタミヤが、画面に登場した戦車を下敷きにプリントして配っていました。この時初めて、動かない(モーターやゼンマイの入っていない)プラモデルを作ることになり、塗装をするようになりました。
メインで出てくるパンサー戦車的なドイツ戦車は、レオパルドの改造だと知り、改造することも覚えました。
あ、、、そういえば、公開前に宣伝用のドキュメンタリーをTVで放送していたんですが、このビデオって誰か持っていないでしょうか?ロバートレッドフォードのインタビューなんかもあるんです。試写会の模様も流れていたと思います。
この映画の舞台・・・・オランダですが、行ける場所ではないな。。と思っていたんです。
ところが、なんと、忘れてしまっていてもいいくらいあとになって(20年後 )
私は、そこに行けてしまったのです。
つづく・・・・
えー、、、一応、お断りしておきますが、これは私の超個人的な意見であって
Q!!Maruのオフィシャルという立場ではありません。
私は、既に純粋な参加者とは言えず、外から見た公平な意見を持てなくなりつつあります。
ですから、いまのうちに書いておきたいと思うんです。
以前もどこかで書いたのですが、Q!!MaruCupというのは、もともとは救済措置でした。
私としては、FK-9の可能性をすごく感じていたのですが、それより以前に走る場所が無くなっては何の意味も持たない。だから、何とかして走る場所をつくりたい。
FK-9オーナーに「なってしまった」という意味を、悲しまないで欲しいという気持ちもありました。ええ、これは自己満足かも知れませんし、私個人の願望でもあります。
スタンディングスタートが出来て、そこそこのスピードがあって、それでいてセッティングの幅が広い。
バッテリーも積んでいる。
これらを考えるとFK9は、耐久レースにはもってこいの車体なんですね。いろいろと弄くることが出来る。電装品が付けられる。
でも、もうその車体自体がクラシックカーになってしまっています。
日に日に、マシンの寿命が短くなっていくし、タマが少なくなってしまっています。
しかし、8耐そのものに参加したいが為に、FK9を新規で購入する人も毎年いるのです。
(もちろん、中古パーツで作り上げるのですが)
8耐というレースを、イベント的に成功させたいなら、FK-9(レンタル系のマシン)という括りは、かなり重いものとなっているのも事実です。
では、KTをOKにできるか?毎回議論されますが、これもまたかなり大変なことです。なかなか良いすり合わせが出来ません。
たぶん、国内でもナイターのレースはあってもライトオンのカートレースはないでしょう。そして、最初は出場条件としてのライト装着が、魅せるための装備に変わっていった。魅せつつ勝つ。これはなかなか出来る物ではないですね。
もし、FK9自体が無くなったとしても、なんとかこの想いは続けていきたいです。
ええ、私はあのFK9が再起不能になるまで続けますよ。
今年も8耐の時期が近付いてきました。
が、、、僕自身は、全くテンションが上がりません。
なんというか、こう、、、なんだろう?
上手く言えないのですが(っていうか、上手く言うわけにもいかないっていうか)
かなり精神的にも参っちゃってます。
がんばろう
最新の情報は、2005Q!!Maru8耐
実は、すんごーーーーく前の話題になってしまいますが、
(えっと、8月11日だったかな? )とあるレースの実況を頼まれていました。
全国大学生カート大会ですが、ふと気が付いてしまった・・・・。
あるFK-9ドライバーが、今年34にして大学に通い始めたんです。
そっかぁ、、、大学生かぁ・・・あ? ウチのカートでレースにでれるジャン。
っていうことで、急遽昔のカートを引っ張り出したわけです。
このマシンは、元は尊師杉山、そして帝王堀籠と乗り継いだ由緒正しき名車(^^;
それで走れって言うんだから、結構キツイですよね。。。
結局、練習は殆ど出来ずに100周ぐらいで大会に臨みます。
いやぁ、かなり頑張りましたね。彼。
でも、決勝で喋りながら あ、そろそろ疲れが出ているな・・・ と思った瞬間。
Zコーナーでスピンして、エンジンを止めてしまいました。
いやぁ、10番手ぐらいのマシンなんだけど、悔しくてね。。。喋っちゃいましたよ。
「最年長大学生○○のマシンが止まった。。。押せ!押せ!」って。
ご存じの方も多いでしょうが、Zコーナーで止まるとそこから先は登りなんです。
疲れてスピンして、、、初めて一人で押し掛け。。。。無理だろうな。。。と。
いや、彼は押し始めたのです
これも、順位に関係なく「押せ!押せ!」って言っちゃいましたよ。
でも、一旦マシンは止まってしまい。。。9コーナーまで上がって。。。
そこからは下りです。
しばらく休んで押し始めます。。。かかった!!
彼は順位に関係なく、チェッカーに向けて走り出したのです。
なんていうか。。。熱いものがこみあげてきましたね。
http://www.tatami-shop.net/shop/ でネット通販の新しいシステムを始めているのですが、ここで極希に起きるトラブルをやっと解決しました。
私の持っている7台のPCでは再現できないトラブル。
しかし、そのユーザーは確実に存在していて、致命的。
ある画面で、スクリプトが動作せず、ダウンロードされる・・・っていう状況。
解決策を探すのに大変苦労しました。
しかし、その人の環境で、解消、動作再現が出来たので、原因特定に至りました。
WEBサイトは、いつまでたっても100点にはなりません。
小さな改良・改善がたくさん必要ですね。
いやぁ、本当に何屋さん?っていう感じになってまいりました。。。。(^^;
ついに、畳関連商品の独自ASPになってしまいました。。。
今なら、報酬率もちょっと上げていますので、是非覗いてみてくださいね。
打倒!! amazon.com まけねー!
ああ、ちなみに、そのサイトは以下のURLです。
畳の通販ショップ・タタミショップ・ネット通販
アクセス解析をしていて、とても恐ろしいことに気が付きました。
Yahoo!で「SUGO国際カートコース」で検索すると
http://search.yahoo.co.jp/bin/search?p=%A3%D3%A3%D5%A3%C7%A3%CF%B9%F1%BA%DD%A5%AB%A1%BC%A5%C8%A5%B3%A1%BC%A5%B9&fr=top&src=top
なんと、Q!!Maru CUP が一番上に出ちゃうんです。。。。(^^;
ああ、なんということでしょう
レース実況って、結構特殊な立場です。
レースそのものも知っていなければできないし
選手のバックボーンも知りたいし
観客はレースのレの字も知らないかもしれないし
かといって、レースをすごく知っている人もいる。
スポンサーの絡みもあるし、オフィシャル側の立場というのもある。
でも、参加者・観戦者の気持ちにならないと、絶対に盛り上がらない。
ついでに、喋るまでに考える間がない。
どちらかというと、反射神経で喋る技術が必要。
でも、それによって1つのイベントが、きっちり進むのはうれしいものです。
大抵、一番矢面に立っていますから、イベントの不都合も謝らなければいけないし
かといって、全てを伝えるわけにも行かないし、かなり悩むポジションにいます。
だけど、「今日来て良かったな」と思える人が参加者・観戦者にいてくれることが
私の喜びになっています。
それと、最近思うのですが、特に選手が「よく聞いてるよなぁ・・」と。
毎回プロフィールを書いていただいているのですが、2戦・全日本と
BGMについての感想があったときにはドキッとしました。
確かに、なんとなく選曲しているつもりはなく、きちんとテーマを持って選曲しています。
通常のBGMの他にも、変なこだわりの80'sとか
コースインの曲とか、チェッカーの曲とか、表彰式の曲とかきちんと決めています。
そこまでやってはいるのですが、どうせ聞いてもらえていないでしょうし
その「雰囲気」の演出小道具としてしか伝わっていないだろうという考えでいました。
はい、厳選に厳選を重ねた「隠し味」のつもりです。
が・・・その隠し味まで気が付いてくれる人がいると、
うれしい気持ちと同時に「次はどうしよう」とビビッちゃったりしています。
あ、でも次のお仕事は大学対抗レースですね。
一息つけるかもしれません。(^^;
もうあちこちで書いているF1 USA-GP についてですが、
ここでは別の視点で私の過去の経験を書いてみます。
Q!!Maruカップの初期の頃
最後の車検で、入賞車両につまらないミスを発見しました。
駆動系の部品で、クランクシャフトにプーリーを止めるときに使う皿ワッシャ
(凸状のスプリングワッシャ)が逆さに付いていました。
レギュレーションには、取り付け部品の方向や数は変更してはいけない、としていましたので
厳密に適用してしまえば、合致していない車両になってしまいます。
しかし、このミスによってアドバンテージを得ることは不可能ですし、
逆にマシンにとって危ない状況になってしまうわけです。
ですから、これを「私個人として解釈した場合」は、ただの注意で済ます話でした。
ただ、あのとき私は車検を「公開」でやっちゃったんですね。
(今考えると、これは私のミスでした。)
それで、このパーツのことが他の選手にも明らかになってしまい、私の単純な裁量では
決定できなくなってしまったのです。
つまり、どうでも良いパーツの(あ、パーツとしてどうでも良い機能ではないんですが)
どうでも良い解釈が出来ちゃう、結果に関係のない部分ではありながら
レギュレーションの定義としては、問題になってしまうもの。
これを「こんなのどうでも良いパーツだから」と言ってしまったら、レギュレーション運用側としては
レギュレーション自体の意味が曖昧になってしまうわけです。
それで、全選手に事情を話して「車検クリアとしようと思うのだがどうか?」と提案しました。
このとき、私の立場としては「全選手の説得」ではありません。
誰か一人でも「それはダメだ」と言われたら、その通りにするつもりでした。
一部では、私がこのパーツの取り付け方法を問題にした、と受け取られているようですが
それは若干ですが意味が違っています。
真意はこのようなものです。
レギュレーションの解釈と運用、これはいつも問題になります。
それは、様々な立場が独立していて歩み寄るポイントが一致していないからでしょう。
前述のケースでも、順位に拘れば失格だし、意味に拘れば問題なし。
主催者の立場とすれば、拡大解釈の運用をすると、そのレギュレーションの意味が揺らぐ。
かといって、杓子定規な運用も本質から外れる。
こんなことが、オフィシャル側には常に付いて回っています。