08392/08574 VET06051 堀篭琢巳 フォーミュランド仙台の歴史
(10) 96/11/09 22:51
フォーミュランド仙台(以下:FL仙台)は、知る人ぞ知る(いや、仙台近辺の人は必ず知っているし、どこからでも見える)仙台大観音のふもとに1994年7月にオープンしました。仙台には、菅生、ハイランドと大きなレースコースが2つもありますし、特に菅生はジャパンカートの舞台となり、レース人口も多いかと思いきや仙台人の特性か一般的にはレース活動は盛んではありませんでした。そこに初めての都市型のアミューズメントサーキットとしてデビューし、コースのレイアウトもなかなかの物でした。
全長409m 最大幅9m アップダウンあり、低速・高速コーナーもバランスよく配置され、タイミングモニターも完備。しかも、仙台市中心部から車で15分と非常に便利な場所に位置し、FK−9のレンタル走行がメインでしたが確実に集客することに成功し、初期のころはレンタル走行が1時間待ちなどはザラでした。
1995年には、FK−9のオーナーも増えだし、スプリントレース6戦・耐久レース4戦が組まれました。夏にはナイター走行が行われ、秋にはF3000ドライバー(服部、Tクリステンセン・Pデラロサ)などを集めイベントで盛り上がりました。冬は、鈴木亜久里、川井一仁、三井ユリを呼んでのイベントもありました。
1996年は、FK−9のレースもエキスパートクラスも増え特に(私事で恐縮ですが)4月には結婚式セレモニー&親戚友達1時間耐久レースなども行われました。そして、昨年の暮れからミニバイクの走行時間も設定し、6戦ほどのレースも組まれました。こうしてカートのみならずミニバイクの人口も増えだし大分盛り上がってきたのでした。
しかし、2月頃から運営管理をしていたC社の運転資金不足が目立ちはじめ8月をもってC社は倒産となってしまいまいた。
コースそのものは、残りましたが士気の低下は隠し切れず、会員もみな落ち込んでおりましたが、その会員たち自らの営業活動や協力などが功を奏し9月にはFK−9の4時間耐久レースを実現させ、以前の輝きを取り戻しつつあった矢先、2週間前になって突然「10月23日をもってコースを閉鎖する」という知らせがあったのです。
次は、閉鎖になった原因についてです
FL仙台存続実現委員会
VET06051 堀籠琢己 **FK−9の帝王**
08393/08574 VET06051 堀篭琢巳 フォーミュランド仙台閉鎖の理由 改定
(10) 96/11/09 23:10
まずコースを運営していた当時の状況から説明します。
私も、オープン当時から通ってはいましたがあくまでも「お客さん」だったので、現在までの情報を総合していますので、事実と違っている点もあるかもしれませんし、私が知っている範囲で、「コース閉鎖の理由」に大きく関わっていながら諸般の事情から公表できない点もありますが、大筋では「遠くない内容」です。
FL仙台サーキットそのものは、F開発の土地を借りて(借地料は多分従量制)埼玉本社の有名なKB社と仙台本社のC社が資金を出し合い建設いたしました。そして、形態を「有限会社フォーミュランド仙台」としており、役員にKB社とC社の社長が収まりC社が運営管理を行うという形でした。つまりC社が頑張ればF開発とC社とC社の社長とKB社の社長にお金が入りますがKB社には入ってきません。そして(たぶん)ここでC社の社長は自分の借金とC社の負債を埋めるべくある作戦に出ます。(補足・・・実際この時点でC社の社長とC社で1億ぐらいの負債があっただろうと、現在は推測されています。裏付けもあります。)C社が持っている「運営管理業務」の権利をKB社に買ってもらい(実質的には資金提供)その下請けになろうとしたのです。
この時点でC社とC社社長のS氏は、何とか立て直そうとしていたようにも見受けられます。
しかし、KB社は「F開発が、とある事情でC社に売り掛けによる貸しができていた」事を知りませんでした。そして、KB社がそれを引き継ぐような形になっていたのです。運営が順調に行けばこの複雑な中でも3社に利益があったはずですが、C社社長のS氏は、負債の返済のため相当危ない金の作り方をしており、そのために、FL仙台の売り上げを偽り、返済に当てていたようです。
つまり、F開発にも土地の使用代金が入らず、KB社は埼玉で「客が来ない物をいつまでやっていても・・・」という状態でC社が倒産したのでした。
F開発との土地使用契約では「ショッピングセンター建設まで」の期限がついており、KB社がFL仙台再建に入る前に「立ち退かなければならない状態」になったのです。もちろん、C社倒産以前はF開発が隣接した土地を用意する取り決めになっていたようですが、この状態では、「土地使用代金が入りそうもない契約」を更新する気はなくKB社も「客が来ない施設」の継続契約を積極的にする気にもならない状態でした。
ここで忘れていけないことは、じつは「客は来ていて」、「会員の活動も活発」でKB社やF開発が考えているほど「ひどい営業状態」ではなかったということです。
全ての関係者が(実際コースに入た人間や会員を除いて)閉鎖・活動停止に結論づけやすい誤解の状態にあったということです。
確かに、C社倒産によってF開発やKB社に多大な負担が残ったのは認めます。しかし、会員の立場からすると、さまざまな不満があります。そして、C社やとS氏に関わった人たちの善意がみんな変な方向に行ってしまったのです。
長くなりそうなので、この部はここで一時まとめます。
次は、KB社社長に会う・・の巻 です
VET06051 堀籠琢己
08399/08574 VET06051 堀篭琢巳 フォーミュランド仙台の憂鬱
(10) 96/11/11 23:48
フォーミュランド仙台を取り巻く数々の憂鬱の中から、主に会員たちの気持ちをお伝えします。
1・FK−9のオーナーたちの今後の活動拠点について
現時点では、KB社が「菅生のカートコースにガレージと走行時間を設ける」交渉にあたっております。しかし現実には当然邪魔物扱いとなるでしょうし、レースのスケジュールさえありません。そして、FK−9オーナー全般に閉鎖性があるため(特にFL仙台ではそうかな?)レーシングカートに混じれることはないでしょう。
2・カートの売買について
FL仙台においても、FK−9を中古として売ってSCやウィンフォースにステップアップをしていった人たちがおりますし、それを目標にしていた人もいました。しかし、この状態ではFK−9(自分のマシン)を営業当時の価格では売買できなくなりました。また、1〜2ヶ月前にマシンを購入した会員たちも実は存在しているのです。
3・FL仙台当時のガレージ代金と敷金の返却
これは、当時の資料を倒産したC社が紛失しているので確実なところがよく分かりません。
4・会員の年会費が1年分として引き落とされていること。
ひどい例では、閉鎖の2週間前に引き落とされています。また、前売りチケットを買って閉鎖を知らない人もたくさん居ります。
5・KB社はこんなに会員がいて、存続を願っているとは思わなかった
・・・などなどです。
一言で言うのは大変難しいほど事態は複雑なバランスになっています。
私は、KB社の社長もこの流れの中で非常に損害を被っていることもよく知っております。
しかし、ここでは私は会員たちを代表して声を大にして言いたい。
1〜4までのことは、コース移転という形で解決を見ることができるのであれば、全てこらえましょう。そして、大いに協力をする準備があります。なぜなら、みんなFL仙台サーキットを愛していて、知り合った仲間たちとはまた再び笑い合い、競い合うことを望んでいるからです。
堀籠琢己 VET06051 ***FK−9の帝王***
08430/08574 VET06051 堀篭琢巳 フォーミュランド仙台・・・その後
(10) 96/11/17 18:55
現在の状態を簡単に報告いたします。
KB社との話し合いは、10月27日の最終営業後の10月28日に行われました。
(それまでのいきさつについては、前発言の「フォーミュランド・・・」を参照してたください。)
1.菅生コースのガレージ・及び走行時間枠については未定
2.コースの営業実態の認識のズレ
3.土地所有者のF開発との交渉の約束
4.FK−9の営業方針
5.他コースでのレースの企画
等が確認され、2〜3時間ぐらいの話し合いがありました。
しかし今日(11月17日)現在、何の返事もありません。
KB社の社長ってそんなもんですかねぇ?
確かに、われわれ会員の方では「言われるまま」の状態です。
そんな人に見えないんだけどなぁ・・・
ルーズな人なのかなぁ。
だんだん自信がなくなってきた今日このごろです。
***FK−9の帝王*** 堀籠琢己